1、空手の起り
手と中国武術
空手は琉球王国(現;沖縄県)にあったとされる「手(ティー)」という土着の武術に加えて、当時交流のあった中国の武術を混合して出来た武術である。
戦前は中国武術を加味したとの意味で、唐手(トゥディー)と呼ばれていた。
「手(ティー)」自体については、起源やどの様な武術であったか、実情がはっきりとしない。
古い時代に沖縄に伝来した中国拳法を起源とする説や、沖縄角力(シマ)から発展したとする説、日本から伝来した柔術を起源とする説など、諸説が取り沙汰されている。
文献上で確認できる最古の使い手としては、16世紀前半の京阿波根実基(きょうあはごん じっき、生没年不詳)の名がある。
系統
大まかには、接近戦法が主眼の那覇手と、遠距離戦法を専らとする首里手の二系統に大別される (一部他に泊手がある)。
古くは那覇手は昭霊流、首里手は少林流(昭林流とも)と呼称されていた。
同じ南洋小国に、特徴を異にする二派が発祥した不思議があるが、これは影響を与えた中国武術等の違いによるものだ。
中国の冊封体制の下で、唐や明朝時代の古くには漢民族が南派少林拳を伝えて那覇手が誕生した。
時代が下って清王朝に代わると、満州民族(女真族)が北派少林拳を伝えたり、日本の剣術や柔術の影響も受けて首里手が発祥した。
少林拳
少林拳とは5~6世紀に南インドから渡来した禅僧の達磨大師が伝えたものであり、外国からもたらされたとの意味で外家拳と呼ばれる。
対して太極拳や八卦掌など中国内で創造された武術は内家拳となる。
少林拳は仏教布教に伴い広く伝播したが、各地の気候や習慣などの生活条件に合わせて土着化し、北派と南派が派生した。
北方の寒冷地では蹴り技を主体とした遠距離戦法、対して温暖な南方域では手技を主とした接近戦法となりがちで、いわゆる「南拳北腿」の特徴が見受けられる。
本土普及と流派勃興
戦後は日本本土に広く普及し、名称も「空手」と改められた。
元来沖縄では棍や剣、トンファーやヌンチャクなどの武器術と型の稽古が中心であり、自由組手(自由意思による模擬戦闘)は行われていなかった。
しかし剣道や柔道などの他武道では既に古くから行われており、これを用いた競技試合も盛んであったため、空手もこれにならって自由組手を行うようになった。
その中で様々な稽古方法と競技ルールが試行され、結果的に多くの新興流派が生まれてきた。
現在の状況
本土では剛柔流、松涛館流、和道流、糸東流が四大流派とされるが、他にも様々な新流派が数多く興されており、活動内容も様々である。
今日では従来の沖縄式の稽古方法以外に、打撃を寸前で止める寸止め制や、頭部を除いた直接打撃制、全身防具やボクシンググローブを用いた直接打撃性、投げや関節技、寝技などの柔術を併用した複合制など、多種多様な自由組手がそれぞれの流派や団体ごとに行われている。
いずれの自由組手もルール上で徒手空拳(素手)同士を専らとしているため、元来の対武器術を想定した沖縄式の内容とは異なり、独自の技術体系として発展してきている。
(文中諸説あり)